本を読む。
セミナーに出る。
動画を見る。
一時的にテンションが上がるも、いつの間にか、いつもの自分に戻る。
そんなこと、ありませんか。
僕は、ずっとそうでした。
足りないのは、知識ではありませんでした。
大切なのは、無意識を意識に上げること、です。
いかに、気づくことができるか。
ここに、全てのヒントがあります。
同じ話を、動画でも話しています。
気づかないと、今までの人生を繰り返します
人間の脳は、無意識の領域がほとんどと言われています。
意識できている部分は、ごく僅か、と。
無意識と言うと難しい言葉になるかもしれませんが、ようはクセです。
なんとなく、いつの間にかやっていること。
僕は、幼少期からずっと、他人の顔色を窺っていました。
しかし、自分では、自覚がありませんでした。
自分にとっては当たり前で、クセだったのです。
お誘いを断れない。
言いたいことを言えない。
やりたいことをやらない。
そして、大人になった頃には、やりたいことが分からなくなっていました。
30歳を過ぎた頃、やりたいことを100個書くというワークをやりましたが、10個も書けませんでした。
やりたいことを我慢して、先延ばしにして、その場をやり過ごしてきました。
蓋をして、隠して、いつしか、自分のやりたいことがなくなってしまった。
見えなくなってしまった。分からなくなってしまった。そんな感じです。
変わりたいのに変わらない、の話は、変わりたいのに変われない本当の理由にも書いています。

気づきって、何なんですか。



無意識を、意識に上げることじゃ。なんとなくやっていることに、光を当てることだよ。
「なんとなく」はラク。主導権はない
なんとなくは、ラクです。
主張しなくていい。決めなくていい。流されて生きるだけ。
うまくいかなければ、何かのせいにすればいい。
でも、なんとなくでは、人生の主導権はありません。
このままでいいのか?
気づかないと、強い癖のまま生きてしまうことになります。
他人の顔色を窺う、他人軸人生です。
そんなのが自分らしい人生って嫌ではありませんか!?
何に気づくのか。
価値観。前提。セルフイメージ。パターン。
僕の場合は、こうでした。
価値観としてあったのは、頑張らなければいけない。正しくなければいけない。
前提にあるのは、人生はマラソンで、苦しいものだ、というもの。
セルフイメージは足りない存在であり、
これらから、他人の顔色を窺い、言いたいことも言えない、やりたいこともやらない、というパターンが生まれていました。
顔色を窺うクセの話は、「顔色を窺うクセ」は直さなくていいにも書いています。
ここで伝えたいことは、そのクセに、どう光を当てるか、です。
知識を詰め込んでも、ここに光が当たらないと、いつの間にか元に戻ります。
勉強しているのに変わらない。
ノウハウを集めても、何も変わっていない。
足りないのは情報ではなく、気づきです。
やりたいのに動けない、の話は、やりたいのに行動できない本当の理由にも書いています。
全ての答えは、自分の中にあります。
親のせいでも、会社のせいでも、景気のせいでもない。
当時の僕は、うまくいかないことを外側のせいにしていましたが、自分に矢印を向け、自分と向き合うようになり、少しずつ気づいていきました。
あなたの、ふとした一言に、価値観やセルフイメージが隠れています。
過去を振り返ってもいい。今、誰かと話していて感じたことを辿ってもいい。
全ての答えはあなたの中にあります。
気づくと、選択肢が生まれます
小学校に上がった直後、6歳で胃潰瘍になりました。
当時は自覚はありませんでしたが、先生や友達にどう思われるかを気にしていました。
中学では、怖い先輩がある教室の廊下を通れず、チャイムギリギリまで待ったこともあります。
社会人になり、個人営業で新人賞をもらい、海外旅行を賭けたコンテストも達成しました。
振り返ってみると、これは承認欲求の強さゆえに出せた結果です。
うまくいかない時は、親のせい、会社のせい、景気のせい、天気のせい。
常に他人軸であり、他責、被害者意識です。
お誘いを断れない、も同様です。
断りたいのに、いつの間にか「行きます」と言っている。
向き合っていくと、怖かった。
断ったら怒らせてしまうのでは?
嫌われてしまうのでは?
関係が壊れてしまうのでは?
気づいて、パターンを変えようとしましたが、
その場で断る勇気がありませんでした。
だから、対策を立てて、いったん保留にすることから始めました。
「予定を確認しますね」と。
そして、しっかりと心の準備をしたうえで、「今回は遠慮します」と伝えるということをやりました。
10回中10回、断れなかったところから、10回に1回。
少しずつ、増えていきました。
当たり前にできる人から見たら、何を言っているんだ、と思うかもしれません。
ですが、僕にとっては、大きな一歩でした。
セレモニーの挨拶で、緊張する自分にも気づきました。
どう思われるかを気にしていました。
そんな自分に気づき、意識の向け方を変えました。
自分がどう見られるか、ではなくて、誰に対して、何を届けたいのか。
他にも、感情的になってしまい、後で後悔する、ということもよくありました。
居酒屋の忙しい時。いつの間にかやらかしてしまうことが何度もありました。
たくさん後悔しました。
後悔の数だけ、反省、修正して、やらかす回数は減ったものの、またまだやらかすことはあります。
そんな進化の途中ではありますが、効果があると実感しているのは、瞑想、散歩、自分一人の時間を作るなどでしょうか。
YouTubeを、なんとなく見ている自分。
これも気づくことで選択肢が生まれます。
ですが、完全にやめるという話ではなく、バランスです。
学びやリフレッシュなら良いけど、惰性で見ている、と気づいたら、
チャンネル登録を外す、電源を切るなど、気づくことで対策が打てます。
気づかなければ、なんとなくのままです。
気づくことで、選択肢が生まれます。
気づかなければ、今までの道だけ。
今までのパターンでいくか。変えるか。
選択肢が生まれるということは、選択権が自分にある、ということです。
全ての答えは、自分の中にあります。
誰かのせいではない。自分に矢印を向ける。



パターンを1回変えたら、もう大丈夫ですか?



いや、1回変えてもすぐにいつものパターンに戻るだろう。戻ってもいい。むしろ戻って当然。「三つ子の魂百まで」じゃ。戻ったら、また気づいて変える。この繰り返しじゃ。
今日からできること
自分のクセを、一つ書いてみる。
断れない。なんとなく。後回し。どれでもいい。
出てきたものを、否定しない。
完璧じゃなくていい。
見つけただけでも、入り口です。
僕は、足りない自分を埋めようとして、ずっと発信できませんでした。
今の自分にオッケーを出して、今できることをやる、ということの重要性を腑に落として、発信できるようになりました。
気づいて、選択を変えた、ということです。
今もチャレンジ中で、明らかに変わってきたけれども、過去のパターンに戻る時もあります。
気づけるようになった、ということだけは確実な進歩です。
戻ってはダメ、ではありません。
戻ってもいい。
そこを否定すると、自己否定のパターンになります。
大事なのは、そこに気づくこと。
またやってしまったな、と言って、変える。
自分を責めるか。
気づいて、選ぶか。
あなたは、どちらを選びますか。








